「武士道と云う事は死ぬ事と見つけたり」
武士道で有名な葉隠の有名な一節ですが、解釈の仕方について、単なる精神論(所謂特攻せよというような)と見るという見方と、この文章で伝えたい本質は、武士道とは、第三者の視点であると思うと異なるメッセージになるという点を書きます。(Wikipediaに書いてある視点です)
ビジネス書に良くでてくるWin⁼Winを考え方や、商売の基本と呼ばれている三方よしの考え方と同じであると捉えることが、どうやらこの表現の本質(つまり自分が存在しない状態を想像して、第三者の視点でみても正しい行いをせよという意味)だと記載されてました。
『我が意を得たり』ですが、
私が目指している利他的な社会とは、武士道精神が反映された社会であるとも言えます。
自分は死んで存在しない前提で、最適な行動をするのが、武士道だと言うことが言えるかと思います。
私が日頃から目指している精神は武士道にも共通していたというのが本日述べたい発見でして、死ぬ気で頑張るという表現も色々とありますが、人間はいつか死ぬべき存在であるということを考えて思考および行動するスタンスは改めて、ドイツの哲学(ハイデガー等)でも取り上げられますが、改めて重要なことなのだという事を再認識した次第です。
なお、死ぬのが怖いのが人間であり弱いものでもありますので、そう簡単に武士道の精神にまで至ることが難しいのも事実です、少なくとも煩悩に悩まされております私としては、死を意識するかどうかは、別として、Win⁼Winや三方よしのスタンスは少なくとも体現したいと思いますが、いつか至りたい武士道の精神と考えております。
東大式FPも一言で言えば、武士道の追求となりますね。
藤井秀樹
株式会社クロス・デジタル・イノベーション 最高経営責任者CEO
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